1月17日と言えば、阪神淡路大震災

あれから22年が過ぎました

朝5時46分

突然地震は発生

当時私は小学校5年生でした

子ども部屋で寝ていた時に地震は発生

震度はどれくらいだったのでしょう?

ベッドが大きく揺れて目が覚めました

リビングに行きテレビで震源地を確認すると神戸

神戸と言えば私の父の実家がある場所です

祖父母の安否は確認できず、眠ることもできないまま朝を迎えました

私にとってはとても印象的な数日間

祖父母の安否確認が取れたのは、震災発生から2日後

1月19日のことでした

父が電車で行ける所まで行き、そこからは何十キロもひたすら歩き、祖父母の住む長田区まで行きました

当時のすさまじい写真も我が家にはたくさん残っています

長田区は火災が激しかった街です

私が、震災後初めて神戸に行ったのはその年のゴールデンウィークでした

両親はこの悲惨な震災の様子を生で私たち子どもにも見せようと思ったのでしょう

震災から4ヵ月ほど過ぎた5月でしたが、街の復興はまだまだでした

半壊の祖父母の家に行く道中も、道が崩れている所がたくさん

全壊の住宅もたくさんありました

高台にある祖父母の家から外を見ると、一面、住宅の屋根にはブルーシートがかかっていました

祖父母の家も、隙間風どころではなく、壁と壁の間に指が入るほどの隙間があちらこちらにありました

そして、お向さんの家は外壁が剥がれ落ちた状態

22年も前のことだけれど、目で見た光景は脳裏に深く刻み込まれています

今日の天声人語に消防隊員さんの声が載っていました

水をかけてもかけても、火が衰えない。

後ろからも火の手が上がり、目の前にオレンジ色が広がる。

火の粉がまるで雨のようだ。

「ほんまに消えるんやろうか・・・」。

あまりにも無力に思えたと消防隊員が書いている。

22年前のきょう、震災に見舞われた神戸である。

隊員たちの手記を集めた「阪神淡路大震災 消防隊員死闘の記」を開くと、一人ひとりの迷いや恐怖がある。

消火栓が使えず、限られた水をどこに向ければいいのか分からない。

自分も死ぬかもしれないとの思いが頭をよぎる。

多くの被害を出した火災は当時、戦時の空襲によく例えられた。

あちこちで黒煙が上がり、炎の広がりが止められない。

まちを焼き尽くす焼夷弾に重なったのだろう。

あの時、現場にいた方々が感じた恐怖の気持ちを理解することは不可能です

でも、こんなことがあった

こんな状態からここまで復興した

その一つ一つを私たちは忘れずに、そして次世代に伝えていくことが、大切であり、課題なのであろう

 

 

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