私がレーシックを受けたのは2005年の12月です

レーシックを受けて11年9ヵ月が経過します

レーシックが盛んに行われるようになる前に受けた私

周囲からは「すごいね・・・」と驚きの言葉をかけられましたが、度胸が座ってたのか、何も考えていなかったのか・・・

医療ミスなんて私の時に起きるわけないと信じ込んでいたからできた行動でした

しかも、やりたい!と思ったのは震災の影響

私が生まれてから、初めて大きな衝撃を感じた地震は阪神淡路大震災

当時、私の祖父母は神戸市の長田区にいました

祖父母が被災者になったことで、地震への関心や恐怖心はその頃からとても強かったです

数日間祖父母と連絡が取れず、心配で心配で苦しかった日々

地震の翌日には、父が仕事の休暇を取り、神戸まで行きました

電車は途中までしか行けなかったので、そこから丸1日以上歩いて、長田区の自宅に向かいました

長田区は火災が広がった地域です

商店街も変わり果てた姿

恐怖と隣り合わせに辿り着いた祖父母の家

半壊の状態でしたが、祖父母はケガもなく元気な状態でした

その知らせを私が聞いたのは授業中でした

先生に突然呼ばれて、「おじいちゃんとおばあちゃん無事だったって」と聞き、廊下で嬉しさのあまりに涙が出て来たのを今でも鮮明に覚えています

そんな経験から、もし地震が来たら・・・と考えることが多かったように思います

地震と、レーシックが何の関係があるのかですが、

私の視力が低下し始めたのは小学校4年生頃です

黒板の字が見ずらい・・・となり、眼科に通い、目の訓練をしました

「C」の形のカードが前後に移動し、目の筋肉を鍛える訓練のための機械

数日ごとに眼科に通っていましたが、当時仕事をしていた母が夕方、眼科に週に何回も連れて行くのが大変だったのか、機械をレンタルし、自宅で訓練を毎日していました

でっかい機械が家の1室を埋め、その機械で毎日訓練

真面目にやったと思うのですが、視力は対して変わらず・・・キープしている程度でした

そして、機械を返却し、眼科に通わなくなったらまた下がり始めた視力・・・

中学に入る頃には常にメガネかコンタクトを付けて生活する状態でした

裸眼では0.1ない状態

私の不安は、日中コンタクトで過ごしている時に、地震が来て、そのまま何日もコンタクトが取れない生活だったらどうしよう・・・

私はソフトコンタクトを使っていたので、一度外すとケースと液がない限り再度付けられない・・・

しかも、今の様にワンデイのコンタクトが主流ではなかったので、洗浄するためには電源も必要でした

かと言って、何日も付けたまま生活するなど不可能なのは感じていました

また、夜間に地震が来て、もしメガネがどこにあるか分からなかったら・・・

メガネが埋もれてしまい、つかめなかったら・・・

と考えると、裸眼で生活できる状態ではなかったことがすごく恐怖との隣り合わせに感じていました

なので、レーシックの話を聞いた時に、すぐに受けたい!と思いました

地震が来た時の不安を取り除きたかったので

今日もまた長くなってしまったので・・・レーシックを受けた11年9ヵ月の経過は明日書きます!